試合の当日。

 町田は、これから始まる試合に思い悩んでいた。

 いきなりの千鶴の申し出で、野球部と女子ソフトボール部とで試合をすることになった。

 そのことを野球部の皆に伝えたとき、他の部員は町田に抗議した。

 なぜ、女子なんかと試合しなくてはならないのか。

 男のほうが体力的に勝っていると疑いも持たない彼らは、そう言って、町田に対して文句を言ったのだ。

 しかし、その試合に勝ったほうが、グラウンドの使用権を得ることができるということを知った途端、彼らは勝負に乗り気になった。

 野球の練習には、ノックしかりバッティング練習しかりと、広い空間が必要である。

 ただでさえ学校のグラウンドは小さい。

 ソフトボール部がつかっている空間を使用できるというのはありがたかったのだ。

 女に負けるわけがない。

 グラウンドの使用権を得るのは野球部だ・・・・・・・男たちのほとんどは、そう確信していた。

 ただ、彼女たちの実力の一端を知っている町田をのぞいては。


 ●●●


「それじゃあ、よろしくね」

「う、うん」


 試合前、ホームベース前に並んだ女子ソフトボール部員と野球部員。

 その先頭に立つ千鶴の言葉に、同じく先頭にたつ町田は戸惑ったような返答しかできなかった。

 それもそのはずである。

 町田は、目の前に並んだ女の子たちに、度肝を抜かれていた。


(なんで、こんなに大きいんだ?)


 目の前の少女たちは、ともすれば男の野球部員たちよりも長身で、鍛えぬかれた体をしていた。

 けっして、女としての魅力を失わずに、健康的な力強さを増した少女たち。

 彼女たちのほとんどは、今年入学したばかりの新入生だった。

 ついこの前までは、中等部の生徒だったのである。

 しかし、どうだろう。

 その体はとても大きくて、しかも何人かは千鶴に負けない大きな胸をしていた。

 身長が小さな少女も、試合前のノックではすさまじい身体能力をほこっていた。

 そしてなにより、千鶴以外で群をぬいて目立つのが、千鶴の横に立つ少女、井上彩華だった。

 茶髪の長い髪と、野性味溢れる女の魅力。

 身長は、高身長がそろっている新入生の中でもひときわ高く、野球部の中で背が一番高い男よりも、頭が上にある。

 そしてなにより、その目だった。

 さきほどから、彩華から降りおろされてくる視線に、町田はたじたじになっていた。


(どうして、彼女は僕のことを睨みつけてくるんだろう)


 同じ人間を見る目付きではない。

 冷たい視線。

 目の前のこいつのことを、どう虐めてやろうかと計画をたてているような、天性のサディスシャンの目つき。

 町田は、この前の理科室でのことを思い出して、背筋を凍らせた。


「それでは、野球部先攻で試合開始」


 主審の男が言い、ゲームがはじまった。

 マウンドには、当然のように千鶴がたった。

 そして、井上彩華は、キャッチャーである。

 ほかのポジションにも美しい少女たちが散っていき、事前練習に余念がない。

 しかし、彼女たちは、どこか真剣勝負といった様子ではなかった。

 まるで、これから始まるレクエーションを楽しみにするかのように、その口元には笑みが浮かんでいる。

 町田は恐怖を感じていた。


「あ、練習球はいいです」


 千鶴はマウンドを慣れた様子でならすと、主審に対して言った。

 いつものニコニコとした笑顔。

 これから、グラウンドをかけて勝負するとは思えないような、気楽な様子。

 そんな千鶴の態度に、野球部の座る一塁側からは、怒りの声さえあがっていた。


「なんなんだよ、あいつ。試合前も、キャッチボールしかしてなかったよな」

「きっと、山なりしか投げられなくて、恥ずかしいんだろう。ハハっ、ばかばかしい」


 ベンチから嘲笑の声があがる。

 それを聞いた町田は、体育の授業で千鶴が見せた実力を思い出していた。

 27打席で、かすりもしなかったあの速球。

 おそらく、投手戦になる。町田は、冷静にそう思っていた。


「プレイボール!」


 試合が始まる。

 千鶴ちゃん、がんばってー! と、黄色い歓声があがる。

 グラウンドには、この試合を見に来た生徒たちの姿があった。

 そのほとんどが女子生徒である。

 千鶴は、下級生、上級生を問わず、かなりの人気がある。

 誰隔てなく接する優しさと、活発で明るい性格。

 女子ソフト部の試合にも応援にかけつけるほどのファンがいるというのだから、学校のグラウンドで行う試合に、彼女たちが駆けつけないはずがなかったのだ。

 衆人監視の中、試合が始まった。


 ズドオオン!


「な、なんだあの球!」

「は、はええ・・・・」


 千鶴の第一球に、町田を除いた野球部の全員が度肝をぬかれた。

 糸をひくような速球が、キャッチャーのミットにつきささる。

 女子が、こんな速い球を投げるなんて・・・・誰もが、驚きを隠せないでいた。


「ストライク、バッターアウト!」


 けっきょく、先頭バッターはバットを振ることもできずに三振した。

 3番バッターである町田は、ネクストボックスに座り、マウンド上の千鶴を観察した。

 満面の笑み。

 豪快なフォームから、男でも投げられないような速球を投げ込んでくる。

 くすくす、という女子たちの嘲笑の中で、千鶴の投げる豪速球にかすりもいない2番バッター。

 泣き顔になりつつあるバッターに容赦することなく、にこにこ笑顔の千鶴は、最後の球を放った。


 ズバアアアンン!!


「ストライク、バッターアウト」


 結局、かすることもできずに、二番バッターは三振になった。

 町田は、ネクストバッターボックスから、打席へ向かう。

 千鶴と相対したとき、町田は彼女が表情を変えたのに気付いた。

 彼女は、それまでの天真爛漫な笑顔ではなく、獲物を目の前にする猛禽類のような視線で町田のことを見つめていた。

 背筋が凍るほどの恐怖。

 それでも、町田はいつものように構えをとった。

 千鶴の豪速球がすさまじいのは知っている。

 だから、バットを極限まで短く持った。

 さらには構えをこれ以上はないくらいにコンパクトにした。

 速球にあわせるために、自らの打撃フォームを変えた町田。しかし、


「ストライク、バッターアウト!」


 いくら構えを小さくしても、まったくの無駄だった。

 かすりもしない。

 あてるだけのバッティングなのに、ボールを前に飛ばすどころか、チップすることもなかった。


「えへへ。じゃあ、次はわたしたちの番だね」


 いつの間にか近くにまで来ていた千鶴が言った。

 町田のことを三振することは当然だとでもいわんばかりの様子。

 もう、攻撃のことを考えているらしい。


「さすがだけど、でも、こっちのエースもすごいよ」


 町田は、負け惜しみのように言った。


「女の子には打てっこない」

「へー。それは楽しみ」


 にこにこと満面の笑み。

 そのかたわらでは、井上彩華が、ばかにしたような嘲笑を浮かべていた。

 それは、女子ソフト部全員が浮かべている笑みだった。

 その意味を、町田はすぐに知ることになる。


(なんで、なんでこんなことに!)


 一番バッターはセーフティーバント。

 二番バッターは、センター前にクリーンヒット。

 三番バッターはフォアボールを選び、あっという間に満塁だった。

 四番には、当然、千鶴が左バッターボックスに入る。


 絶望に、町田は背筋が凍った。

 ピッチャーのボールは悪くない。

 この前の夏の大会も、二年生ながらエースをはった右の本格派だ。

 速球は130の後半を常時維持して、鋭く落ちるスライダーもある。

 それなのに、


「あは、おそ」


 カキイイイン!

 千鶴の打った打球は、ライトのネットを軽々と越え、ホームランになった。

 おそろしいくらいの飛距離である。

 本来、グランドのネットは、ボールが外に出ないように計算してつくられている。

 そのネットを越えたのだから・・・・・・。

 町田は、あらためて千鶴の怪力に恐怖した。


「ふふ。女には打てない、だっけ?」


 ダイヤモンドを一周してきた千鶴が言う。

 うなだれて下を向いて座っている町田に、おどけたような千鶴が続けた。


「町田くん、わかってるよね。この試合で負けたら、ほんとにこのグラウンド、わたしたちが使うからね」

「わ、わかってるよ」

「ならいいんだけどさ。ふふ、コールドのルール、いまのうちに決めておいたほうがいいと思うよ。みじめになるだけだもん」


 言い残して、千鶴が去っていった。


(これからだ、これから・・・・・。きっと、増田さんの前にランナーをためるために、打てる奴を全員一番から三番にまとめたに違いない。そうさ、男のピッチャーの球が、女の子なんかに)


 この後におよんでも、町田の油断はなおらなかった。

 しかし、それも当然といえよう。

 なにしろ、いま、自分たちが戦っている相手は、昨日まで硬式ボールにさえ触れたことがないズブの素人なのだ。

 今まで青春のすべてを野球の練習に費やしてきた自分たちが負けようなどと、いったい誰が想像できよう。


「ふふ、よろしく」


 と言って、バッターボックスに入ってきたのは彩華だった。

 茶色の長髪をポニーテールにしているのがよく似合っている。

 彼女は、にやにやと余裕しゃくしゃくで、バットをかまえた。

 まるで、緊張感がない。

 1球目は待ちだろう。

 そう予測した町田を、軽快な金属音が襲った。


「な!?」


 エースの渾身のストレート。

 きれいに外角低めにきまったそれを、彩華は強引に引っ張り、レフトスタンドにたたきこんでしまった。

 女とは思えない豪快なスイング。

 まるでアメリカのメジャーリーガーを思わせるようなフォロースイングだった。

 一歩も打席からでることなく、打球の行方を確認した彩華は、うれしそうに言った。


「あは。軽く打ったわりには飛ぶのね。硬式ボールって」


 とんでもないことを平然と言ってのけた彩華。

 彼女は、そのままダイヤモンドを一周した。

 さきほどから、観客の黄色い歓声がうるさい。

 みんなが見ている中で、すでに5対0。

 しかも、まだひとつもアウトをとれていない。


「ど、どうなるんだ、これ」


 町田の悪い予感はあたった。

 まさかの連続ホームランに動揺したピッチャーが突如としてコントロールをみだす。

 フォアボールが続き、ランナーがたまったところで長打を打たれる。

 やっと3つのアウトをとれたとき、得点板には、13という数字がきざまれていた。


「はあ、はは、はあ」

「ふう、ひい」


 長い守備の時間から戻ると、ベンチの中はお通夜のように静まりかえっていた。

 男たちの荒い息だけが聞こえてくる。誰かがつぶやくようにして言った。


「あいつら、何者なんだ?」


 ただの素人だった。

 それを認めたくないが故の発言なのだ。

 今までの野球人生、男相手にだって、初回に13点もとられたことはない。

 町田たちは、なかなか目の前の状況を信じることができないでいた。


 ズバアアアアアアン!


 そんな男たちに、千鶴の投球練習の音が絶望の仕上げをする。

 初回より速くなっている気がするソレは、確実に自分たちのエースを上回る速球だ。

 それを、にこにこと笑顔で投げ込んでくる千鶴と、まわりで楽しそうに守備練習をしている女の子たち。

 まるで相手にされていない。

 彼女たちは、この試合に勝って当然と思っている。

 彼女たちは、この試合を男たちを虐める余興としか感じていないのかもしれない。

 そのことに、今更ながら気づく町田だった。

 戦意を失った彼らに、勝ち目はなかった。

 千鶴の速球の前に、バッターはかすることもできずに三者連続三振。

 女子ソフト部の攻撃になれば、それは永遠に続くように思われた。

 千鶴と彩華に2打席連続ホームランを打たれた。

 めったうちにされ、自信を失っていくエース。

 コントロールはなくなり、どうにも相手にならなくなっていく。

 壊れていく。

 可愛い女の子たちに、自分たちの野球部が壊されていく。

 その絶望感の中に、町田は、なぜかぞくぞくするものを感じていた。

 それがどういう感情なのか、町田自身にも分からなかった。


 カキイイイン!


 4回の裏。

 千鶴の4打席連続ホームランがセンターの金網を大きく越していくのを見て、野球部の男たちの心は折れた。

 34対0。

 もはや野球のスコアではなかった。

 ここまで差がつくと、普通、相手は手をぬいてわざとアウトになったりするものだ。

 しかし、彼女たちは違う。目を輝かせてさらなる屈辱を男たちにたたき込んでいく。

 長身の美しい少女たちの残酷さ。

 うなだれた男どもを嘲笑してバカにする。

 自分たちが勝って当然。

 この試合は、いかに自分たちが楽しめるか。

 どれだけ男に屈辱を与えることができるか。

 彼女たちはそれしか興味がないようだった。


「はい、34点目っと」


 千鶴がダイヤモンドを一周してホームを踏んだ。

 彼女はうなだれた町田の真正面に立った。

 手を腰にやり、仁王立ちのまま、千鶴は満面の笑みを浮かべて町田を見下ろした。

 その顔には、恍惚とした表情があった。


「えへへ。町田くん、どうしたのかな?」

「・・・・・・・・・」

「わたしたち、野球は素人なんだけどなー。なんで町田くんたちはこんなに弱いの?」

「・・・・・・・・・」

「町田くん、最初に言ったよね? 女なんかに負けるわけないって。ふふふ、これから逆転するんでしょ?」


 何も言えずにいる町田を、千鶴は言葉で虐める。

 彼女が口を開くたびに、女子ベンチからはくすくすと笑い声があがっていた。

 それは、観客席からも同じだった。

 ファンである女子たちが、あまりにもふがいない野球部員を嘲笑をもって観察している。

 町田はどうにかなりそうだった。

 今まで自分の支えだった野球。

 毎日毎日、ほかのすべてを犠牲にしてがんばってきた野球。

 何よりも大切なソレで、自分たちは素人の女の子にすら勝てない。

 それどころか、まともに真剣勝負することもできない。

 手加減され、遊ぶみたいな彼女たちに、圧倒的な大差をつけられる・・・・・・・。

 町田は、自然とつぶやいていた。


「・・・・・・もう、やめないか」



つづく